対人関係の悩み・・夫婦、親子、恋人、友人、職場と、わたしたちの人間関係の悩みは尽きる事がないと言っていいほどです。ここでは一体何が原因で、具体的にどうしていったらいいのか、解説してきたいと思います。
すべては自分の鏡
はいはい、出ました~!という感じですね。まさか、あの妻が夫が、職場の嫌いなあの人が、私の鏡であるはずは絶対に、ないっ!と。
すべては自分の鏡、というと「私はあの人みたいに〇〇じゃない!あんな事しないし!絶対に違う!!」と思うのが普通ですし、実際その通りだと思います。
なので、言い方を少し変えてみます。
自分が自分の嫌っている部分、決してあってはならない自分、ダメな自分、不真面目な自分、ずるい自分、弱い自分 を相手の中に見ている。
自分が自分の事を許していない、欠点だと思っている、認めていない部分を相手を通して見せつけられて、それを嫌だー!と思っているだけなんです。
え、だって欠点だから嫌いで当然じゃない、という疑問には別の機会でお話しするとして、
自分が自分を愛していない部分が鏡のように相手に映し出されている。
きっと貴方は真面目でがんばり屋さんで、自分の為にまわりの為に、より良くしたいと思ってやってきたことでしょう。悪いところがあるのなら直していこうという向上心、その一心でやってきたはずです。
だからこそ、”あってはならない自分” を力づくで抑え込み、克服しようとしてきたのではないでしょうか。
愛されたいが故に自分にはとんでもなく厳しい
ここで貴方に質問です。
ほんとうのところ、身近な人に貴方は何を望むでしょうか?
「わたしの事を愛してよ、長所だけじゃなくてぜんぶ、私のダメな部分もぜんぶ認めてよ、まるごと愛してよー!!」
そう、全力で心が叫んではいないでしょうか。
ところが身近な人にはこんな思いがわき上がってきても、身近な人よりより一層自分の近くの存在である自分自身、
肝心の自分そのものには とんでもない手厳しい目を向けてごうごう非難し続けているのです。”向上心”の名の元に、もっと愛されるべき、もっと認められるべきわたし になるために・・
ところが欠点を直そうとする行為自体が、欠点だと自覚している行為です。そして、この欠点の為に愛されない認められなくなる不安と恐怖を抱え、できるだけ隠そうとします。(※本当は欠点だと勝手に信じ込んだだけです。なぜそう言えるのか、別の機会にお話しします)
パラドックス的ですが、自分が好きすぎて、自分をはげまし過ぎて叩き続けている状態、自分が好きすぎて自分が大っきらい、という状態です。
こんな風に、内面が緊張の一触即発の状態にある中で、誰かが嫌な言動をしてきます。
対人関係の悩みは多くの場合、このパターンが多いように思います。
現実が変わってしまう!?具体的な方法 ステップ1/2
ここで朗報です。実は、具体的に嫌な言動をされた時こそが最大のチャンスでもあります。
ここからは具体的な方法です。こう、自分に問いかけてみてください。
「あの人(嫌な言動をしてきた人)は、私をどう思ってると思う?どこがダメだと思ってる/どこがダメだと言ってると思う?」と自分に問いかける。
そうすると「きっとあの人は私のこんなところをダメな奴って思ってると思う」といった風に、自分から答えが返ってきます。そして
その問いかけの答えそのものが、自分が自分を愛していない部分、認めていない部分、許していない部分、存在を認めていない部分です。
現実が変わってしまう!?具体的な方法 ステップ2/2
具体的な例を挙げていきましょう(私コトノリの体験です)。職場で苦手な人がいてどうにもすれ違い、相性が合わないと感じる。傷付きながら一年近く毎日悩みました。
そこで「あの人は私の事をどう思ってると思う?どこがダメだと思ってると思う?」と自分に聞いたところ「社交的じゃないところ。もっと打ち解けなさいよ、と思ってると思う」と即答でかえってきました。自分がまさに そこが自分の最もダメなところ、出来てないところ、と感じている部分でした。
そこで2ステップの2、最終ステップです。
「自分の事をそう思っているんだね。でも、それでいいよ」と自分を許可する。
えっ、それだけ!?
はい、それだけです。騙された!と思ってもこれをやるだけなら1円もかかりませんから、うっそーと思いながらお試しにやってみてもいいかもしれません。果たして効果があるのかないのかは、やってみてのお楽しみ!
※ここで1点、注意点があります。
〇 こんなところがダメだと思っているんだね。そうだよ。でもそれでいいよ。
✕ こんなところがダメだと思っているんだね。そんなことないよ。 / そうじゃないよ。
他人を励ます時には「そんなことないよ、大丈夫だよ」という言い方が定番かと思いますが、自分に対しては「そんなことないよ」と言っているうちは現実は変わりませんでした。
それから、自分に聞いて返ってきた答えが、実際に相手の思っていることと一致していた=正解 なのか不正解なのかは、どっちでもいいということです。当然ながら相手に確かめる必要もありません。相手が実際は自分の違う部分がダメだと思っていたとしても、現実は変わります。
対人関係についての 事の理(ことのことわり・原理)についてお伝えしました。別の視点からの見方もあまた ありますので、別の記事にてお伝えしていきたいと思います。
貴方の気づきのきっかけになれば幸いです。またお会いしましょう。